いちとはぎの新婚生活


by clemenskrauss
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カテゴリ:積読日誌( 26 )

f0022130_22593476.gif老年について
著:キケロー
訳:中務哲郎
岩波文庫


カエサルと同時代を生きた政治家で著作家キケロ晩年の作品。一般に忌むべきものとされている老年について、ポエニ戦争の立役者大カトーの口を借りて謳いあげる一冊。

登場人物は大カトー、大スキピオの孫で後にカルタゴを滅ぼす小スキピオ、小スキピオの友人ラエリウス。ギリシア譲りの対話形式で書かれているけれど、プラトンのように問答を積み重ねるようなものではなく、若いスキピオとラエリウスに対して齢80を超えた老カトーが老年の素晴らしさを一方的に語るといったもの。本書において二人の青年の存在はまったく副次的なものであるといってよく、大カトーの口を借りてキケロ自身が「こうありたい自分の老後」を綴ったものといえる。

キケロよりは一世紀前に元老院を主導してローマを地中海の覇者とし、カルタゴを破った英雄スキピオ・アフリカヌスが元老院に派閥を形成しようとすると見ると共和政の危機とばかりにこれを失脚させ、晩年に至るまで政治的な影響力を持ち続けた大カトー。作品中ではローマ人らしく政務の傍ら農園の管理にいそしみ、またギリシア文学に打ち込んだと描かれている。
一方、元老院ひいては共和制の守護者を自任しまた周囲からも扱われていたキケロだけれど、『老年について』を執筆したのはカエサルが終身独裁官に就任し、政治的影響力が低下しイジケて執筆活動に打ち込んでいた頃。60歳を過ぎ老いの足音を感じていた彼が、尊敬する大カトーの口を借りて鬱屈した思いを著作にぶつけたくなった気持ちも分からないではありません。

キケロの著作は以前からちょっと興味があったのだけど、実際に手にしてみたら思ったよりも読みやすかったので、他のものも機会があったら手にしてみたいと思う。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-11-14 00:15 | 積読日誌
f0022130_0551225.jpgローマから日本が見える
著:塩野七生
集英社文庫


追っかけている塩野さんの新刊。集英社というのがちょっと意外。

題名の通り古代ローマのありかたを通して日本のありようやあるべき姿を描く部分もあるのだけど、基本的には王政から帝政初期までの塩野さん流の通史というか、『ローマ人の物語』のダイジェスト版といった感じ。ダイジェスト版といってもさすがにつぼを押さえたもので、ローマについての予備知識の無い人にとっては手頃なガイドブックになるだろうし、一通り読んできたつもりの自分にとってもおさらいにちょうど良かった

本書の中でオリジナルな内容なのが書名にもなっている最終章の「ローマから日本が見える」と付録の「英雄たちの通信簿」。特に最終章で日本の55年体制時の自民党をローマの元老院に比しているのはユニークで面白い。
同じく最終章で述べている「日本人だからローマ史が分かる」というのも一理あるんだろうなぁ。確かに「グラディエイター」での帝政ローマの描き方(カリグラをモデルにしているんだっけか)や「スターウォーズ」シリーズでの元老院や共和制と帝政との描き方を見ると、映画としての出来不出来は抜きとして、作り手にローマ時代についての公正な見方をしているとはあまり思えない。そういう意味で、キリスト教徒から見た異教徒としての一方的なローマ史観だったり、共和制に民主主義を見る盲目的な民主主義者的な観点から、比較的にしても自由でいられる環境にある人間のほうが、より素直にローマを知り学ぶことが出来るのかもしれない。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-11-10 22:59 | 積読日誌
f0022130_23344434.jpgローマ教皇とナチス
著:大澤武男
文春新書
重い、しかし大変興味深い一冊。

アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党が1933年にドイツの政権を奪取後、戦前戦中に渡って占領下のヨーロッパ各国で繰り広げた未曾有の蛮行に対し、ローマ教皇ピウス十二世と教皇庁が何故沈黙を守り続けたのかを、大澤氏はピウス十二世ことエウジェニオ・パチェリの経歴や教皇庁を取り巻く文化的背景にまで遡って批判的に検証している。

ただし文中何度も言及している通り、大澤氏はこの本を書き上げるに当たってアメリカのジャーナリスト、ジョン・コーンウェルの著作に多くを負っているとの事だが、コーンウェルはピウス十二世が親ナチかつ反セム傾向があったという刺激的な言説をといているだけあって、多方面から学術的な反証がなされているようで、大筋でこの説に乗っている大澤氏の著作もそういった面があることを頭に置きつつ読み進める必要があると思う。

ヴァティカンはラテラノ条約によってようやく主権国家としての地位を回復したとはいえ、ナチス・ドイツの同盟国であるムッソリーニ率いるファシスト政権下のイタリアの首都ローマのごく一部を占めているに過ぎず、かつて広大な教皇領を領有していた時代と比べれば見る影も無い。独自の軍事力も持っていない彼らに、あの時代一体何が出来ただろうか?

また、宗教そのものを否定する共産主義国の拡大の脅威に晒され、教皇庁はドイツをカトリック教国の共産主義国に対する防壁と見ていたふしがある。ドイツの対ソヴィエト戦を共産主義国に対する十字軍になぞらえ、ピウス十二世は最後までドイツの勝利を信じて疑わなかった。もちろん、ドイツ占領下で行われていた障害者に対する政策や、ユダヤ人やロマに対する強制移住と「最終的解決」が意味するところが何であったのか、国際社会や教皇庁が知らなかった訳がない。それでもなお、ピウス十二世と教皇庁の目には、ナチスのほうが「まだまし」と映ったのだ。

ここで僕は、ナチスによりドイツを追われアメリカに亡命せざるを得なかったユダヤ人指揮者、ブルーノ・ヴァルターの言葉を思い出さずにいられない。

「私はあらゆる現世には、ただ一つの解決策があるのを知った。それは寛容である。しかしただ一つ、不寛容に対してだけは、寛容が適用されてはならない。」

結果的に、ピウス十二世と教皇庁はナチス・ドイツに対して寛容であり続けてしまったのだ。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-07-07 00:48 | 積読日誌
f0022130_15414.jpg徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話
著:德川宗英
文春文庫

先日の『徳川慶喜家にようこそ』に続いて、徳川家のご子孫によるもの。

德川慶喜の曾孫である德川慶朝氏による『德川慶喜家にようこそ』が純粋なエッセイであるのに対し、御三卿の田安德川家第11代当主たる德川宗英氏の著作は、よくある雑学ものといった感じ。(でもワタクシ雑学ものも好きなんです(笑))

「徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話」と言いつつも本当の内緒話はほとんど無く、どこかで読んだような話が多いのだけど、それでもこの本をただの雑学本ではなくしているのが、やはり著者の德川宗英氏の出自であり、氏ならではの話題でしょう。
德川慶朝氏よりも一世代上である宗英氏は、戦前の華族の暮らしを直接に体験した世代であるだけあって、お女中が何十人もいる中で「若様」と呼ばれて育てられたという話は、なんだか遥か昔の物語のような気がしてしまいます。

個人的に初耳だった話をいくつか書き留めておこう。

大政奉還後、德川慶喜が将軍職を辞したあとに德川の宗家を継いだ德川家達が、大正三年に内閣総理大臣の就任を要請され、天皇の下命まであったにも関わらず辞退していたとの事。この決断に対し、朝日新聞は「高貴でおおらかな家達氏は、政治の濁流にもまれるべきではない」と賛意を表明したのだとか。
なおこの家達、慶喜に対して心穏やかならぬ思いもあったらしく、一族の集まりの場で慶喜が床柱を背に座っていると、遅れてやってきた家達が「おや、私の座るところがない」と言ったという。

德川光圀は隠居後、野良仕事に精を出し年貢まで納めていた(笑)

德川宗英氏の曽祖父戸田氏共は明治の初年にオーストリア公使を務めていたのだが、なんとヴィーンの公使館にヨハネス・ブラームスがやってきて極子夫人の弾く琴を聴き、お礼に楽譜にサインをしてプレゼントしてくれたらしい。ブラームスが日本の音楽の楽譜を手に入れ、一部には本人によると思われる書き込みがあることや、どこかで琴を聴いたことがあるらしいと言うことは知っていたけれど、てっきり1873年のヴィーン万国博覧会での出来事かと思っていました。
戦災により戸田家の邸宅が焼けてしまったため、確たる証拠が残っていないというのは本当に残念。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-06-25 23:45 | 積読日誌
f0022130_04259.jpg徳川慶喜家にようこそ
著:德川慶朝
文春文庫

德川幕府第15代将軍德川慶喜公の曾孫、德川慶朝さんのエッセイ。

大河ドラマの『篤姫』でもそろそろ露出が高くなってきている徳川慶喜。権現様の再来と呼ばれたと思えば、江戸幕府を潰した張本人と言われてみたり、はたまた旧幕臣から「貴人、情けを知らず」と恨まれたと思えば、泥沼の内戦を避けて日本国を植民地化から救ったと言われてみたり。日本史の中でもこれほど毀誉褒貶の相半ばする人物は珍しいのではないでしょうか。
『篤姫』の中ではあまり良い取り上げられ方をされそうにありませんが、慶喜が将軍に祭り上げられた経緯や、短い在位期間で将軍としてなそうとしたこと、大政奉還後の暮らしなどに興味があったのでこの本を手にした次第。

で、読了してみての感想。この本には「わが家に伝わる愛すべき『最後の将軍』の横顔」という大層な副題が付いていますが、この副題に釣られてこの本を手にしようと思った方は読まないほうが吉。ご自身がカメラマンと言うこともあり、慶喜の後半生の趣味の一つであった写真を世に出した功績は大変大きな方ですが、ご自身が文中に打ち明けられている通りもともと歴史に興味が薄いこともあってか、慶喜についての内容は大変薄い。
更に慶朝氏の好みのタイプやらお勧めデートコースやらを延々と読まされるのには正直閉口させられるし、空想の中の彼女(氏は文中で再三全くもてない事を強調しておられる)と鎌倉をデートした後彼女にシャワーを勧めて家に誘い、彼女が風呂に入るとすぐさま着ていたものを洗濯機に入れてしまい、「ぼくも汗かいちゃったもので」と、何食わぬ顔でお風呂にお邪魔する・・・なんてくだりを読んだ時には、あまりの気色の悪さに鳥肌が立ちました・・・。

ただし、明治・大正・昭和と時代が下るに連れて慶喜の子孫達の辿った(失礼ながら)没落の道は大変興味深い。貴族院議員・華族世襲財産審議会議長を務めながらも39歳の若さで急死した息子の慶久、父の後を継いで公爵となりながらも宮勤めの一介のサラリーマンとなり、二等兵(!)として出征して中国各地を転戦し、戦後なんとか帰国するも膨大な財産税が払えずに家屋敷を手放さざるを得なくなった孫の慶光。
今も殿様のような旧華族がいる一方、一時は武士の長たる将軍職まで上り詰めた徳川慶喜の子孫達の辿った道を思うと、なんだか複雑な心地がします。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-06-17 23:38 | 積読日誌

三四郎(著:夏目漱石)

『積読日誌』を見ると解るとおり、僕はあまり小説を読みません。(例外は塩野七生で、彼女の作品は大体読んできているつもり)
これは別に小説が嫌いと言う訳ではなくて、今は他に読みたいものが多くてそこまで手が届かないと言うのが実情なんですね。小説ではできるだけ、その作品そのもにも興味があり、なおかつその作品の及ぼした文化的な影響や当時の風俗に興味があるものに目を向けるようにしています。

で、そんななか職場のパートさんにお借りしたのが夏目漱石の三四郎。よくよく考えれば、わざわざ借りずとも我が家にも父の蔵書と思しき物が一冊あったのですが、読んだことが無かったので失念しておりました。

夏目漱石も是非色々と読んでみたいと思っていたので、実際に手にしたらあっという間に読み終えてしまったのですが、これは学生時代に一度読んでおきたかったなぁ。きっと学生時代と今とでは随分感じ方が違ったと思うのです。
若者特有の繊細な心の動きと、これも若者特有の視野と世界の狭さ。これは三十路男よりも十代の同年代の方が遥かにリアルに自分の問題として感じ取れるだろうし、三四郎と一緒にほんの少し成長できるんじゃないだろうか。

病院で美禰子と再会した折の絵画的とも言える表現といい、時折見せる三次元的な描き方にもはっとさせられる。うーん、やはり漱石は一通り読まないといけませんね。
イチ
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by clemenskrauss | 2008-05-01 00:19 | 積読日誌
f0022130_0524649.jpg古代ギリシアの悲劇作家ソポクレスの代表作。
言わずと知れた物語ですが、こうして改めて読んでみるとその強烈で無駄と迷いのない話の展開に釘付けになります。また、アリストテレスの「詩学」を元に分析するなど解説も充実しており、1粒で2度美味しくなっています。

以下、まとまりのない感想文。

解説では同じオイディプス王の悲劇を取り上げたソポクレスとアイスキュロス、エウリピデスとを比較しているのがなかなか興味深いところです。ソポクレスが散逸せずに残っているのに対し、アイスキュロスとエウリピデスはすでに失われてしまっているわけですが、アイスキュロスの場合同じ三部作として書かれた「テバイ攻めの7将」が残っており、ここからオイディプス王の描かれ方が類推できるようです。
それによると、アイスキュロスが神託を無視したオイディプスの父ライオスに対する、アポロンの呪いによる不幸の連鎖として描いているらしいのに対し、ソポクレスはオイディプス自身を初めとする人間が、良かれと思って行った一つ一つの行為の積み重ねの結果としての悲劇であると。当然簡単に優劣をつけることはできないけれども、人間のドラマとして描かれているからこそ作品に生命力や力強さが生まれているのかもしれない。

アリストテレスによると悲劇において最も重要な素因は出来事の構成にあるそうで、「逆転」「発見」「恐れ・あわれみ・いたましさ」を要素として挙げています。筋の「逆転」が先立つ出来事との因果関係があること。真実の「発見」が無理のない驚愕とともに出来事の結果としてもたらされるものであること。さらにこれら「逆転」と「発見」が同時に起こる場合が最も優れていると述べており、例としてソポクレスのオイディプス王を挙げています。なるほど、確かにオイディプス王においては恐るべき真実の「発見」により「逆転」が発生していますね。しかも、真実が善意からもたらされるというのも大変効果的です。

また、「恐れ・あわれみ」と呼び起こすための人物の設定として、特別に優れた人でも邪悪さのために不幸になるのでもなく、ただある過ちのために不幸に陥るような人であり、名声と幸運のうちにある人物であるべきだと述べており、やはり例としてオイディプスを挙げています。

更にアリストテレスは、恐ろしい行為が近親者同士の間で行われる場合の方が、敵同士や他人同士の間で行われるよりも「あわれみ」を呼びやすいと指摘したうえで、(a)この行為が近親関係を知りつつ意識的になされるか、(b)それと知らずになされるか、(c)果たされるか、(d)果たされないかといった条件の組み合わせごとに比較し、オイディプス王のような(b)+(c)のケースを高く評価しているとの事。
ただ興味深いのが、この意味でアリストテレスが一番高く評価しているのが(b)+(d)のケースで、エウリピデスの「タウリケのイピゲネイア」を例に挙げているのだとか。イピゲネイアといえばアガメムノンの娘でエレクトラ・オレステスの姉。これは一度読んでみたいなぁ。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-04-25 00:47 | 積読日誌
f0022130_641316.jpg福沢諭吉66歳の時に出版された自伝。口述筆記による速記文に諭吉先生自身が全面加筆を施したもので、言文一致の文体がとても読みやすく、目の前で福沢翁が昔語りをしているような錯覚さえ覚えます。

内容はと言うとこれがめっぽう面白い。だいたい、慶應義塾の創始者であることや「天は人の上に人を作らず」なんて言葉は知っていても、実際にどんな事をした人かなんて詳しく知らなかったのですが、幼少期から大酒を呑んだり、仲間と悪さをしてまわった書生時代のエピソードから、2度の洋行や維新前後のあくまで中立的な立場を守った時の状況など、実に詳細かつ赤裸々に述べられています。またその文体が鷹揚でとてもユーモアに富んでいて、彼の人柄を偲ばせるものとなっています。

どうも一般に「天は人の上に人を作らず」という言葉が独り歩きしているような気がしますが、これは人類皆兄弟、キリスト教的な神の前に人は皆平等であるという意味では全くなくて、あくまで「機会の平等」なんですよね。人には生まれもっての優劣は無い、がしかしその後の生き方如何では優もあり劣もある。だからこその「学問のスヽメ」なわけで、これを頭に入れて読み進めると彼の考えや行動をより理解しやすいかと思います。

幕末から明治維新前後の状況についての、旧幕府側にも新政府側にも組せず一歩下がった立場からの冷静な証言として読んでもとても面白いです。オススメ。
それにしても、「お金にはこだわらない」と何度も口にした諭吉先生が、平成の世に最高額紙幣の代名詞となっているのを知ったらどう思うでしょうかねぇ。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-04-24 06:23 | 積読日誌
f0022130_2215353.jpg近代文学者による、江戸における男女(時に男男)の色恋話をもとに自分の経験や恋愛観を語った一冊、と言ったところだろうか。

いや、てっきり題名から普通に江戸の話ばかりかと思いきや、こまめに自分の経験談に話を持っていかれるので(文中何度も著者が告白しているように、どうやら編集部のご意向らしい)途中でかなりおなかいっぱいな感じで正直鼻につきます。あたしゃアンタの経験談なんぞ興味無いんだい!とカバーの見返しの紹介文をよく読んでみると、「江戸学者が贈る新恋愛講座」とある。むふー。

とはいえ、近代文学中の例を色々と挙げてくれるのは、実際に作品を読んでいない自分にとってはなかなか面白くて、『好色一代男』の名妓たちの男を虜にするテクニックだとか(このあたりが恋愛講座?)、23回もの結婚・離婚を繰り返す『万の文反古』の九平次の話をはじめ、ちょっと読んでみたいなと思わせる紹介の仕方をしてくれています。

そのほかでは、江戸時代に花開いた性の文化と食とを対比させた一文がちょっと興味深い。
曰く、「私たち人間には食欲がある。何でも良いから食べれば命はつながる。しかし料理や食卓の文化が成立して、私たちは何でも良いとは思わなくなった・・・(中略)・・・食べることの喜びは食べ物だけで成り立つのではなく、場所や人や食器や音楽や話やお酒や料理法の取り合わせの巧妙、総合で生まれる。」 これが食文化。で、筆者によるとこれと同じように江戸で吉原が提供し(発信し)たのは性の文化であり、これこそが『好色』ということなのだと。
遊郭を美化しすぎている嫌いはあるけれど、吉原という特異な空間の一面を表している文章だと思う。

まあ、買ってまで読む本ではないかも・・・。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-03-05 23:28 | 積読日誌
金曜日、ちょっと具合が悪いなと思いながら帰宅し熱を測ってみると37.5℃。それから一晩ぐっすり眠ってだいぶ体調はよくなったのだけど、さっき就寝中に急に咽てしまい、変な時間に起きてしまったものだからなかなか寝られないので、先日読んだ本のメモをつけておこう。

f0022130_7564259.jpg著者はトロイアの発掘で知られるハンリッヒ・シュリーマン。その彼が大発見に先立つ6年前に世界旅行の途中幕末の日本に立ち寄り、アメリカに向かう船の中でフランス語で書いた旅行記。
個人的にはシュリーマンにはあまり良いイメージが無かったのですが、この旅行記に見せる彼の観察眼の鋭さ、好奇心の強さはまさに一流のもので感心させられます。彼が北京に入るため上海から天津行きの蒸気船に乗ったのが4月20日で、日本からサンフランシスコ行きの小さな帆船に乗船したのが7月4日。この短い期間で彼は実に精力的に様々なものを見聞き体験し、感じ考察したことを書き残してくれています。

この本を一読して誰もがまず感じるのが、清国について退廃し堕落した民族と酷評しているのと対照的に、日本について極めて清潔で、「文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されて」おり、「工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達して」おり、「それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている」と、ある意味で絶賛に近い評価を下していること。(当時の清国は大変不幸な時代であり、彼がその清国を見た直後に日本を訪れているということは差し引いて考える必要はあるかも知れないけれど)これは文章の端々に感じられることで、ありがちな先入観や偏見などほとんど感じさせない彼の異文化に対するスタンスは賞賛に値すると思うし、そこに描写されたかつての日本の風俗と相まって感動的ですらあります。

文中、面白いと思ったことをいくつか。
シュリーマンが出会ったおそらく最初の日本人である港で荷の積み下ろしをする男たちが、「彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、あやしまれるくらい」で、体中に彫り物をしていると書いています。こうした格好の男は何も港だけではなく、後に馬丁や担ぎ人夫たちも「幅の狭い下帯と、背中に赤や白の大きな象形文字の書かれた紺色のもの」で、「たいてい体中に入れ墨をしている」と述べていますが、当時のこうした肉体労働者たちは裸に彫り物がユニフォームのようなものなんですよね。彼はここで、ユリウス・カエサルがブルトン人について書いた言葉を引用しています。曰く「彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に彩色している」。

彼は日本人の綺麗好きなところにも注目しており、「日本人が世界中でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」とまで語っています。街のいたるところにある公衆浴場についても描写しており、浴場の道路に面した側が開放されていて中が丸見えだったようで、3,40人の裸の男女が混浴しているのを目の当たりにして「なんと清からな純朴さだろう」と感動しています。実際湯屋の混浴は、この頃には既に風紀を乱すとして何度も禁止されているなのですが、この禁制はあまり行き届かなかったようですね。浴室には柘榴口があったり明り取りの窓が小さかったりで、薄暗い上に湯気が充満していたと思っていたのですが、彼の見た湯屋はもっと開放的なものだったようです。語学に大変堪能だったシュリーマンらしく、「名詞に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである」と述べているのが面白いところです。
ただこれだけ綺麗好きな日本人が、他のどの国にも見られないほど皮膚病を病んでいる人が多いことにシュリーマンは首を傾げていて、その原因を「日本人が米と同様に主食にしている生魚にあると断言」しています。このあたりにちょっと刺身に対する偏見が見え隠れしますが、確かに吉田松陰が密航に失敗した理由が彼の酷い疥癬にあったという話もあるくらいなので、その原因はともかくやはり日本人の皮膚病の多さは際立っていたようですね。

また興味深いのが、日本には家具の類が一切無いと言い切っているところ。かわりに「長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ」が、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレスの代わりに使われていると。まあ一切無いことは無いと思いますが、確かに大名屋敷でも西洋のように豪奢な調度品に囲まれるということはそうないでしょうね。屏風や衾や器に贅を尽くしたりすることはあるでしょうけど。まして江戸の長屋の住人に到ってはそれこそ「家具の類が一切無い」でしょう。そもそも畳に据え置きの家具は相性も悪いし、なにより野暮ったい。
清清とした畳に文机一つ、読み書きに疲れた目を四季の庭に癒すなんて暮らしに憧れたりしますが、残念ながら自分は便利な物に囲まれる生活に慣れすぎてしまったようです。

他にも浅草や王子に立ち寄ったときのことや、日本文明論と題した一章のことなど取り上げたいことはいくらでもあるのですが、この辺で。で、幕末の日本を旅した外国人の旅行記がなぜここまで面白く読めたのかと考えるに、今現在の自分の暮らしが当時の日本人のそれとはかけ離れ、限りなく西洋化されてしまったというところに一因があるのでしょう。つまり読み手である自分の視点が、被観察者の日本人ではなく観察者のシュリーマンと同化し、彼の驚きと発見を140年の時を経て追体験する楽しさなんでしょうね。
これは一読を是非お勧めしたいですね。きっと日本がより好きになると思いますよ。

イチ
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by clemenskrauss | 2008-02-24 05:02 | 積読日誌