いちとはぎの新婚生活


by clemenskrauss
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
f0022130_15414.jpg徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話
著:德川宗英
文春文庫

先日の『徳川慶喜家にようこそ』に続いて、徳川家のご子孫によるもの。

德川慶喜の曾孫である德川慶朝氏による『德川慶喜家にようこそ』が純粋なエッセイであるのに対し、御三卿の田安德川家第11代当主たる德川宗英氏の著作は、よくある雑学ものといった感じ。(でもワタクシ雑学ものも好きなんです(笑))

「徳川家に伝わる徳川四百年の内緒話」と言いつつも本当の内緒話はほとんど無く、どこかで読んだような話が多いのだけど、それでもこの本をただの雑学本ではなくしているのが、やはり著者の德川宗英氏の出自であり、氏ならではの話題でしょう。
德川慶朝氏よりも一世代上である宗英氏は、戦前の華族の暮らしを直接に体験した世代であるだけあって、お女中が何十人もいる中で「若様」と呼ばれて育てられたという話は、なんだか遥か昔の物語のような気がしてしまいます。

個人的に初耳だった話をいくつか書き留めておこう。

大政奉還後、德川慶喜が将軍職を辞したあとに德川の宗家を継いだ德川家達が、大正三年に内閣総理大臣の就任を要請され、天皇の下命まであったにも関わらず辞退していたとの事。この決断に対し、朝日新聞は「高貴でおおらかな家達氏は、政治の濁流にもまれるべきではない」と賛意を表明したのだとか。
なおこの家達、慶喜に対して心穏やかならぬ思いもあったらしく、一族の集まりの場で慶喜が床柱を背に座っていると、遅れてやってきた家達が「おや、私の座るところがない」と言ったという。

德川光圀は隠居後、野良仕事に精を出し年貢まで納めていた(笑)

德川宗英氏の曽祖父戸田氏共は明治の初年にオーストリア公使を務めていたのだが、なんとヴィーンの公使館にヨハネス・ブラームスがやってきて極子夫人の弾く琴を聴き、お礼に楽譜にサインをしてプレゼントしてくれたらしい。ブラームスが日本の音楽の楽譜を手に入れ、一部には本人によると思われる書き込みがあることや、どこかで琴を聴いたことがあるらしいと言うことは知っていたけれど、てっきり1873年のヴィーン万国博覧会での出来事かと思っていました。
戦災により戸田家の邸宅が焼けてしまったため、確たる証拠が残っていないというのは本当に残念。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-06-25 23:45 | 積読日誌
f0022130_04259.jpg徳川慶喜家にようこそ
著:德川慶朝
文春文庫

德川幕府第15代将軍德川慶喜公の曾孫、德川慶朝さんのエッセイ。

大河ドラマの『篤姫』でもそろそろ露出が高くなってきている徳川慶喜。権現様の再来と呼ばれたと思えば、江戸幕府を潰した張本人と言われてみたり、はたまた旧幕臣から「貴人、情けを知らず」と恨まれたと思えば、泥沼の内戦を避けて日本国を植民地化から救ったと言われてみたり。日本史の中でもこれほど毀誉褒貶の相半ばする人物は珍しいのではないでしょうか。
『篤姫』の中ではあまり良い取り上げられ方をされそうにありませんが、慶喜が将軍に祭り上げられた経緯や、短い在位期間で将軍としてなそうとしたこと、大政奉還後の暮らしなどに興味があったのでこの本を手にした次第。

で、読了してみての感想。この本には「わが家に伝わる愛すべき『最後の将軍』の横顔」という大層な副題が付いていますが、この副題に釣られてこの本を手にしようと思った方は読まないほうが吉。ご自身がカメラマンと言うこともあり、慶喜の後半生の趣味の一つであった写真を世に出した功績は大変大きな方ですが、ご自身が文中に打ち明けられている通りもともと歴史に興味が薄いこともあってか、慶喜についての内容は大変薄い。
更に慶朝氏の好みのタイプやらお勧めデートコースやらを延々と読まされるのには正直閉口させられるし、空想の中の彼女(氏は文中で再三全くもてない事を強調しておられる)と鎌倉をデートした後彼女にシャワーを勧めて家に誘い、彼女が風呂に入るとすぐさま着ていたものを洗濯機に入れてしまい、「ぼくも汗かいちゃったもので」と、何食わぬ顔でお風呂にお邪魔する・・・なんてくだりを読んだ時には、あまりの気色の悪さに鳥肌が立ちました・・・。

ただし、明治・大正・昭和と時代が下るに連れて慶喜の子孫達の辿った(失礼ながら)没落の道は大変興味深い。貴族院議員・華族世襲財産審議会議長を務めながらも39歳の若さで急死した息子の慶久、父の後を継いで公爵となりながらも宮勤めの一介のサラリーマンとなり、二等兵(!)として出征して中国各地を転戦し、戦後なんとか帰国するも膨大な財産税が払えずに家屋敷を手放さざるを得なくなった孫の慶光。
今も殿様のような旧華族がいる一方、一時は武士の長たる将軍職まで上り詰めた徳川慶喜の子孫達の辿った道を思うと、なんだか複雑な心地がします。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-06-17 23:38 | 積読日誌
f0022130_641316.jpg福沢諭吉66歳の時に出版された自伝。口述筆記による速記文に諭吉先生自身が全面加筆を施したもので、言文一致の文体がとても読みやすく、目の前で福沢翁が昔語りをしているような錯覚さえ覚えます。

内容はと言うとこれがめっぽう面白い。だいたい、慶應義塾の創始者であることや「天は人の上に人を作らず」なんて言葉は知っていても、実際にどんな事をした人かなんて詳しく知らなかったのですが、幼少期から大酒を呑んだり、仲間と悪さをしてまわった書生時代のエピソードから、2度の洋行や維新前後のあくまで中立的な立場を守った時の状況など、実に詳細かつ赤裸々に述べられています。またその文体が鷹揚でとてもユーモアに富んでいて、彼の人柄を偲ばせるものとなっています。

どうも一般に「天は人の上に人を作らず」という言葉が独り歩きしているような気がしますが、これは人類皆兄弟、キリスト教的な神の前に人は皆平等であるという意味では全くなくて、あくまで「機会の平等」なんですよね。人には生まれもっての優劣は無い、がしかしその後の生き方如何では優もあり劣もある。だからこその「学問のスヽメ」なわけで、これを頭に入れて読み進めると彼の考えや行動をより理解しやすいかと思います。

幕末から明治維新前後の状況についての、旧幕府側にも新政府側にも組せず一歩下がった立場からの冷静な証言として読んでもとても面白いです。オススメ。
それにしても、「お金にはこだわらない」と何度も口にした諭吉先生が、平成の世に最高額紙幣の代名詞となっているのを知ったらどう思うでしょうかねぇ。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-04-24 06:23 | 積読日誌
f0022130_2215353.jpg近代文学者による、江戸における男女(時に男男)の色恋話をもとに自分の経験や恋愛観を語った一冊、と言ったところだろうか。

いや、てっきり題名から普通に江戸の話ばかりかと思いきや、こまめに自分の経験談に話を持っていかれるので(文中何度も著者が告白しているように、どうやら編集部のご意向らしい)途中でかなりおなかいっぱいな感じで正直鼻につきます。あたしゃアンタの経験談なんぞ興味無いんだい!とカバーの見返しの紹介文をよく読んでみると、「江戸学者が贈る新恋愛講座」とある。むふー。

とはいえ、近代文学中の例を色々と挙げてくれるのは、実際に作品を読んでいない自分にとってはなかなか面白くて、『好色一代男』の名妓たちの男を虜にするテクニックだとか(このあたりが恋愛講座?)、23回もの結婚・離婚を繰り返す『万の文反古』の九平次の話をはじめ、ちょっと読んでみたいなと思わせる紹介の仕方をしてくれています。

そのほかでは、江戸時代に花開いた性の文化と食とを対比させた一文がちょっと興味深い。
曰く、「私たち人間には食欲がある。何でも良いから食べれば命はつながる。しかし料理や食卓の文化が成立して、私たちは何でも良いとは思わなくなった・・・(中略)・・・食べることの喜びは食べ物だけで成り立つのではなく、場所や人や食器や音楽や話やお酒や料理法の取り合わせの巧妙、総合で生まれる。」 これが食文化。で、筆者によるとこれと同じように江戸で吉原が提供し(発信し)たのは性の文化であり、これこそが『好色』ということなのだと。
遊郭を美化しすぎている嫌いはあるけれど、吉原という特異な空間の一面を表している文章だと思う。

まあ、買ってまで読む本ではないかも・・・。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-03-05 23:28 | 積読日誌
金曜日、ちょっと具合が悪いなと思いながら帰宅し熱を測ってみると37.5℃。それから一晩ぐっすり眠ってだいぶ体調はよくなったのだけど、さっき就寝中に急に咽てしまい、変な時間に起きてしまったものだからなかなか寝られないので、先日読んだ本のメモをつけておこう。

f0022130_7564259.jpg著者はトロイアの発掘で知られるハンリッヒ・シュリーマン。その彼が大発見に先立つ6年前に世界旅行の途中幕末の日本に立ち寄り、アメリカに向かう船の中でフランス語で書いた旅行記。
個人的にはシュリーマンにはあまり良いイメージが無かったのですが、この旅行記に見せる彼の観察眼の鋭さ、好奇心の強さはまさに一流のもので感心させられます。彼が北京に入るため上海から天津行きの蒸気船に乗ったのが4月20日で、日本からサンフランシスコ行きの小さな帆船に乗船したのが7月4日。この短い期間で彼は実に精力的に様々なものを見聞き体験し、感じ考察したことを書き残してくれています。

この本を一読して誰もがまず感じるのが、清国について退廃し堕落した民族と酷評しているのと対照的に、日本について極めて清潔で、「文明という言葉が物質文明を指すなら、日本人は極めて文明化されて」おり、「工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達して」おり、「それに教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている」と、ある意味で絶賛に近い評価を下していること。(当時の清国は大変不幸な時代であり、彼がその清国を見た直後に日本を訪れているということは差し引いて考える必要はあるかも知れないけれど)これは文章の端々に感じられることで、ありがちな先入観や偏見などほとんど感じさせない彼の異文化に対するスタンスは賞賛に値すると思うし、そこに描写されたかつての日本の風俗と相まって感動的ですらあります。

文中、面白いと思ったことをいくつか。
シュリーマンが出会ったおそらく最初の日本人である港で荷の積み下ろしをする男たちが、「彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、あやしまれるくらい」で、体中に彫り物をしていると書いています。こうした格好の男は何も港だけではなく、後に馬丁や担ぎ人夫たちも「幅の狭い下帯と、背中に赤や白の大きな象形文字の書かれた紺色のもの」で、「たいてい体中に入れ墨をしている」と述べていますが、当時のこうした肉体労働者たちは裸に彫り物がユニフォームのようなものなんですよね。彼はここで、ユリウス・カエサルがブルトン人について書いた言葉を引用しています。曰く「彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に彩色している」。

彼は日本人の綺麗好きなところにも注目しており、「日本人が世界中でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」とまで語っています。街のいたるところにある公衆浴場についても描写しており、浴場の道路に面した側が開放されていて中が丸見えだったようで、3,40人の裸の男女が混浴しているのを目の当たりにして「なんと清からな純朴さだろう」と感動しています。実際湯屋の混浴は、この頃には既に風紀を乱すとして何度も禁止されているなのですが、この禁制はあまり行き届かなかったようですね。浴室には柘榴口があったり明り取りの窓が小さかったりで、薄暗い上に湯気が充満していたと思っていたのですが、彼の見た湯屋はもっと開放的なものだったようです。語学に大変堪能だったシュリーマンらしく、「名詞に男性形、女性形、中性形の区別をもたない日本語が、あたかも日常生活において実践されているかのようである」と述べているのが面白いところです。
ただこれだけ綺麗好きな日本人が、他のどの国にも見られないほど皮膚病を病んでいる人が多いことにシュリーマンは首を傾げていて、その原因を「日本人が米と同様に主食にしている生魚にあると断言」しています。このあたりにちょっと刺身に対する偏見が見え隠れしますが、確かに吉田松陰が密航に失敗した理由が彼の酷い疥癬にあったという話もあるくらいなので、その原因はともかくやはり日本人の皮膚病の多さは際立っていたようですね。

また興味深いのが、日本には家具の類が一切無いと言い切っているところ。かわりに「長さ2メートル、幅1メートルの美しい竹製のござ」が、長椅子やソファ、テーブル、ベッド、マットレスの代わりに使われていると。まあ一切無いことは無いと思いますが、確かに大名屋敷でも西洋のように豪奢な調度品に囲まれるということはそうないでしょうね。屏風や衾や器に贅を尽くしたりすることはあるでしょうけど。まして江戸の長屋の住人に到ってはそれこそ「家具の類が一切無い」でしょう。そもそも畳に据え置きの家具は相性も悪いし、なにより野暮ったい。
清清とした畳に文机一つ、読み書きに疲れた目を四季の庭に癒すなんて暮らしに憧れたりしますが、残念ながら自分は便利な物に囲まれる生活に慣れすぎてしまったようです。

他にも浅草や王子に立ち寄ったときのことや、日本文明論と題した一章のことなど取り上げたいことはいくらでもあるのですが、この辺で。で、幕末の日本を旅した外国人の旅行記がなぜここまで面白く読めたのかと考えるに、今現在の自分の暮らしが当時の日本人のそれとはかけ離れ、限りなく西洋化されてしまったというところに一因があるのでしょう。つまり読み手である自分の視点が、被観察者の日本人ではなく観察者のシュリーマンと同化し、彼の驚きと発見を140年の時を経て追体験する楽しさなんでしょうね。
これは一読を是非お勧めしたいですね。きっと日本がより好きになると思いますよ。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-02-24 05:02 | 積読日誌
f0022130_119591.jpg杉浦日向子の著作。様々な雑誌に書いたものを集めたものなので、玉石混交といった感じではあります。
正直前半は石勝ちでこれはちょっと失敗かなとも思ったのだけど、四章の私の江戸散歩、伍章のお江戸珍奇、六章の江戸本を読むあたりはとても面白いです。

中でも江戸珍奇では怪異やら男色やら呪術やら、下世話な話のごった煮といったところですが、日向子さんの筆も急に鮮やかになるようで面白い。
それにしても、ここで触れられている源内先生の男色モノの本、題名だけでもものすごいですわ・・・

そうそう、余談ですが、まるで『百日紅』の描かれなかった最終回のような『<創作>北斎とお栄』も載っています。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-02-02 23:19 | 積読日誌
f0022130_0495899.jpg先日の『百日紅』に続いて、杉浦日向子の『ニッポニア・ニッポン』。

1983年から84年にかけて、あちこちの雑誌に書かれた短編を集めた一冊。もともと一冊にまとめる事を意図していなかったであろうものなので、悪く言えば寄せ集めといった感じも無きにしも非ずといった感じではあるのですが、いずれも杉浦日向子独得の世界観が生かされ、楽しめる作品となっています。

自分が特に気に入ったのは、高橋阿伝の最期と後日譚を幻想的に描いた『夢幻法師』、貧乏町学者と女装の麗人(?)、三味線の名手でもある旗本の末っ子という風変わりな3人組を描いた『馬の耳に風』『月夜の宴』『冥府の花嫁』、読後感の暖かな『安らかな日々』。

それにしても、杉浦日向子がもうちょっと仕事熱心だったら!(笑)
きっと健康面などで思うに任せなかったこともあったのでしょうが、『馬の耳に風』の3人組の活躍をもうちょっと見てみたかった。まぁ、きっとこのあたりのお話が後の『百日紅』の北斎とその周辺のお話に昇華して行ったのだと思うのですが。

『百日紅』『百物語』あたりを読んで気に入られた方は、是非手に取ってみてください。
好きな方には、オススメ。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-01-29 23:54 | 積読日誌
f0022130_1204848.jpg江戸時代の絵師葛飾北斎と娘お栄、そして居候の善次郎(後の渓斎英泉)らの日常を描いた短編集。江戸の華たる火事に喧嘩は言うに及ばず、笑いあり、怪談あり、艶あり、心中ありの三十篇。

杉浦日向子さんの本はエッセイ調のものはいろいろと読んでいたのだけど、もともと彼女が世に出るきっかけとなった漫画はこれが初めて。本屋で手にしてちらっとめくってみたことはあるものの絵がイマイチ好きになれず、そのうちには読みたいと思いつつもあんまり興味を抱かなかったんですね。
ところが年末たまたま職場近くの古本屋を覗いてみたら、日向子さんの漫画作品が5冊も並んでいるじゃありませんか。どうせいつかは買うものとまとめて大人買いしたのですが、これが大正解。面白くてあっという間にみんな読んでしまいました。

どの話も気が利いていて深みがあって、それでいて話を描き過ぎない。特別絵が上手いわけではないと思うのだけど、例えば「美女」で隠居が絵の世界を覗くシーンなど思わずぞくっとさせられるし、他にも「離魂病」のお栄の手にしたガラス球の中の金魚がタライに移っているコマのような、なんでもないシーンで使うちょっと意外な構図があったり、浮世絵を下地にしたようなシーンがあったりして楽しかったりする。
どの話もいいけど、「野分」「美女」「離魂病」「鬼」あたりが白眉じゃなかろか。

これ、NHKあたりで45分くらいの時代劇にしたら絶対面白いですよ。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2008-01-03 22:57 | 積読日誌
大江戸美味草紙
NHKの「コメディお江戸でござる」が好きでした。なにもえなりかずきファンなわけでもなく、ドタバタ喜劇はそれはそれで面白いけれど、お目当ては番組後半の杉浦日向子さんのお話。前半のコメディを時代考証の観点から突っ込みを入れたり、江戸の人々の暮らしぶりを教えてくれたり、最期までどこか硬さが残っていたけれど、生きた江戸の風俗を面白く聞かせてくれました。話の端々に、お酒好きらしさがちらほらと見え隠れしていて、見ていて親近感を覚えたものでした。

この本は僕が手にした杉浦日向子さんの著作の2冊目で、花のお江戸の人々の生活を食の観点から解説した本。当時の食を扱った川柳をキーに文章が綴られていて、これがまた面白い。例えば、


  おそろしきものの食いたき冬の空


これ、なんだと思いますか?冬が旬の恐ろしいもの。河豚。
誰だって死にたかぁない。でも食いたい。まだ河豚のどこに毒があるかも解っていなかったそうで、たまに当たるので「てつぽう」なんて呼ばれていた時代。


  死ぬなかと雪の夕べにさげて行き


独り者同士、一杯やろうと雪の中さげて行くのはもちろん河豚。おっかない、食いたかぁないなんて意気地のないことは言いっこなし。


  片棒を担ぐゆうべのふぐ仲間


運悪く、当たってしまったらハイさようなら。丸い棺桶を運ぶのはゆうべのふぐ仲間たちと言うわけだ。

徹底的に死を嫌忌して人の目から隠し切ってしまい、小学生なんかが「人は死んでも生き返ることもある」なんて答えてしまう今の世の中。死は生の延長線上にあるものという当たり前のことが、感じにくくなってしまった現代とは違い、江戸の人たちにとって死は日常のひとコマだった。
生と死とが隣り合わせと言うことを実感として解っている人でなければ、絶対に詠めないようなこの軽妙さが面白く思われました。

イチ
[PR]
by clemenskrauss | 2006-01-10 23:47 | 積読日誌