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いちとはぎの新婚生活


by clemenskrauss
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古事記

古事記_f0022130_10133417.jpg多神教の神々の活躍する神話は面白い。妙に堅苦しくも押し付けがましくもなく、妬みもすれば争いもし、ひたすら人間的で不完全。ギリシア神話あたりが物語として面白いと同時に、今の世に通じる寓話にもなりうるのも、登場人物がみな不完全な存在であるからなのでしょうね。

で、今回取り上げるのは日本最初の文学作品である古事記。イザナギとイザナミの話がオルフェウスとエウリディケの話に酷似している(さらにいえば旧約聖書のロトの妻に類似性をみる人もいますが)など、ギリシア神話と一見相通じるところも多いようなのですが、その性格は随分異なるように思われます。
エーゲ海のように爽やかで朗らかなギリシア神話に登場する神々の多くが、おそらくは人間の行動や感情そのものを神格化したものが多いのに対し、日本のそれが人々にとって立ち入ることの許されない異界であった、深く暗い森や山や海など自然を畏れ敬う自然信仰的な要素が強いためか、物語も時に理不尽でとても非情なんですね。

また、ギリシア神話の多くが名もない多くの作家による自由な創作(と言っていいのかな?)であるのに対し、古事記は大和朝廷の公式文書であり、国家としての日本の歴史書であり、かつスメラミコトや有力氏族ら権力者の正当性を内外にアピールする意図を多分に持ったものであり、そのあたりも作品の持つ雰囲気や登場人物(神)たちの性格に大きく影響を与えているのではないかな。

さらに言えば、その当時の人々を律するものが何であったかも、こうした作品に大きく影響を与えているのかもしれない。キリスト教やイスラムやユダヤ教などでは、教えや契約によって神が人々の暮らしを律しているし、聖人なんて呼ばれる人々の有難いお話も読まれていた。対してギリシア・ローマ時代には法があり、この法が人々の暮らしを律していたため、神々はわざわざ説教を垂れなかったし、その必要もなかった。「殺人をしてはらなない」なんて、ギリシア・ローマの人たちは神様に教えてもらうまでもなく自分達でルールを決めていた。
一方古事記成立当時の日本では、人々を律していたのは法でも神々でもなく「しきたり」だったのかもしれない。黄泉の国で灯りをともしたイザナギ、兄を殺したヤマトタケル、分娩室を覗いたヤマサチヒコなど、タブーを犯してしまったために不利益を蒙ってしまう話に事欠かない。

キリスト教によって駆逐され、今ではただの一人の信者さえ持たなくなってしまったギリシア・ローマの神々と、仏教と融合しつつ今でも神社の片隅に住まう日本の八百万の神々。この辺に過去の価値観を全て否定するのではなく、旧来のものをベースに良いと思ったことを取り入れ、新たな価値観を作り出す国民性の表れを見て取ることも可能かも。

なんて事を、この間熱にうなされながら古事記を読んで、取りとめもなく考えてました(笑)
ギリシア神話との対比はおいといて、純粋に読み物として古事記は面白いですよ。イザナギとイザナミの国造りと凄まじい夫婦喧嘩、スサノオ大暴れも面白いですが、オオクニヌシの話が一番好きかな。古事記の中ではなんと言ってもヤマトタケルが超有名なヒーローですが、個人的にはなんてヒドイ奴なんだと・・・ そういや、彼はヘラクレスと対比できそうですね。

イチ
by clemenskrauss | 2006-06-15 08:16 | 積読日誌